芝田山親方は、昭和最後の横綱として知られる第62代横綱・大乃国康(おおのくに・やすし)です。本名は青木康。北海道河西郡芽室町出身で、現役時代には幕内最高優勝2回を記録し、千代の富士の連勝記録を止めた一番でも相撲史に名を残しました。2026年現在は、日本相撲協会の年寄「芝田山」として、東京都杉並区にある芝田山部屋の師匠を務めています。
現在の年齢や役職、現役時代の戦績、引退後に部屋を創設するまでの経緯はもちろん、所属力士の一覧、朝稽古の見学方法、大阪・名古屋・九州場所の宿舎情報も気になるところです。日本相撲協会の公式プロフィールと部屋紹介、自治体の公開情報、過去の宿舎案内などを手掛かりに、芝田山親方の現在と、元横綱が師匠として歩んできた道のりを整理します。
【芝田山親方の現在】2026年の年齢・役職・部屋の実像

2026年10月現在、芝田山親方は64歳です。日本相撲協会の公式「年寄プロフィール」では、年寄名を芝田山康、本名を青木康とし、役職区分は「役員待遇」と掲載されています。現役時代の四股名である大乃国と、現在の親方としての芝田山は、同じ人物を指しています。
芝田山部屋の師匠として後進を育成することが、現在の活動の中心です。日本相撲協会の公式部屋紹介では、所在地に加え、所属力士や行司、呼出、床山などの情報も確認できます。
芝田山親方を知るうえで押さえたいのは、元横綱としての知名度と、現在の部屋の規模を分けて考えることです。現役時代の大きな実績が、そのまま現在の所属力士の番付に反映されるわけではありません。師匠の仕事は、自ら土俵に上がって勝つことから、弟子の育成や部屋の運営へと変わっています。
また、芝田山親方は甘いもの好きの一面でも知られ、「スイーツ親方」という呼び名で親しまれてきました。ただし、その親しみやすいイメージだけで人物像を捉えると、横綱としての実績や、長年にわたる相撲部屋の運営という側面を見落としてしまいます。
【大乃国康の経歴】第62代横綱が誕生するまで
大乃国康は1962年10月9日、北海道河西郡芽室町に生まれました。日本相撲協会の歴代横綱プロフィールによると、初土俵は1978年3月場所。入門時は花籠部屋に所属し、その後、放駒部屋で力士として成長しました。
大乃国の四股名は、入門当初の「青木」から「大ノ国」、そして「大乃国」へと変わっています。1982年3月場所に新十両、1983年3月場所に新入幕を果たし、1985年9月場所には大関へ昇進しました。
大きな転機となったのが、1987年です。同年の夏場所で全勝優勝を達成し、秋場所後に横綱へ推挙されました。横綱在位は1987年11月場所から1991年7月場所まで。身長189センチ、体重188キロという体格を生かし、右四つからの寄りや吊りを得意とした力士でした。
大乃国を象徴する取組として語り継がれているのが、1988年九州場所で千代の富士の連勝を53で止めた一番です。連勝記録を更新し続けていた大横綱を破ったことで、大乃国の名は相撲史に強く刻まれました。
日本相撲協会の公式記録によれば、幕内最高優勝は2回、殊勲賞は5回、敢闘賞は2回。横綱昇進という肩書だけでなく、上位力士を倒す力と、優勝争いを制した実績を備えた力士だったことが分かります。
【現役時代と現在を比較】引退後に芝田山部屋を創設するまで
大乃国は1991年7月場所を最後に現役を引退しました。当時28歳。日本相撲協会の公式プロフィールには、現役時代の通算成績が560勝319敗107休、幕内成績が426勝228敗105休と記録されています。
引退後は年寄として後進の指導に携わり、のちに年寄名跡「芝田山」を襲名しました。さらに1999年6月には芝田山部屋を創設。元横綱として土俵で積み重ねた経験を、弟子の育成や部屋の運営に生かす立場へと移りました。杉並区の地域情報サイト「すぎなみ学倶楽部」の人物紹介でも、現役時代から部屋創設後までの歩みが紹介されています。
現役時代と現在を比較すると、求められる役割の違いが見えてきます。
| 時期・項目 | 出来事・実績 | 意味・補足 |
|---|---|---|
| 1978年3月 | 初土俵 | 花籠部屋に入門し、力士としての歩みを開始 |
| 1982年3月 | 新十両 | 関取への昇進を果たす |
| 1983年3月 | 新入幕 | 幕内力士として本格的に活躍 |
| 1985年9月 | 大関昇進 | 最高位への昇進に向けて実績を積む |
| 1987年11月 | 横綱昇進 | 第62代横綱・大乃国が誕生 |
| 1988年九州場所 | 千代の富士の53連勝を止める | 現役時代を象徴する一番として知られる |
| 1991年7月 | 現役引退 | 28歳で土俵生活に区切りをつける |
| 1999年6月 | 芝田山部屋を創設 | 親方として弟子の育成と部屋の運営を担う |
| 2026年 | 芝田山部屋の師匠 | 日本相撲協会の公式プロフィールでは役員待遇と掲載 |
この経歴で注目したいのは、横綱昇進から引退、部屋創設までの流れです。現役時代の評価は勝敗や優勝回数によって示されますが、師匠になってからは弟子の成長や日々の稽古、部屋の維持といった別の責任が生まれます。
芝田山親方の歩みは、横綱としてのキャリアが終わっても、相撲界で担う役割が終わるわけではないことを示しています。
【芝田山部屋の所属力士一覧】2026年の公式情報を確認
日本相撲協会の公式「相撲部屋のご紹介」に掲載されている芝田山部屋の力士は、2026年10月時点で次のとおりです。番付は場所ごとに変動するため、所属力士の確認と番付の確認は分けて考える必要があります。
- 錦国(にしきくに):三段目
- 浜田山(はまだやま):序二段
- 翔傑(しょうけつ):序二段
- 若肥前(わかひぜん):序二段
- 高麗の国(こまのくに):番付外
上記は公式部屋紹介ページに掲載された顔ぶれです。番付外の力士も所属力士の情報に含まれているため、「番付外」と「部屋に所属していないこと」は同じ意味ではありません。
また、公式ページには力士だけでなく、行司の木村吉二郎、呼出の克之・啓輔、床山の床門なども掲載されています。相撲部屋は力士だけで成り立つ組織ではなく、土俵上の進行や髪結いなどを担う専門職によって支えられています。
芝田山部屋の所属力士を検索するときは、古い記事に掲載された番付を現在のものとして扱わないことが大切です。番付は本場所ごとに更新されるため、最新の一覧は日本相撲協会の公式情報で確認するのが確実です。
【芝田山部屋の住所と朝稽古見学方法】一般見学はできる?
日本相撲協会の公式部屋紹介によると、芝田山部屋の所在地は次のとおりです。
〒168-0072 東京都杉並区高井戸東2-26-9
東京都杉並区にあるこの場所が、芝田山親方が師匠を務める部屋の所在地です。ただし、住所が公開されていることと、一般の人が自由に立ち入って稽古を見学できることは別です。
朝稽古の見学を希望する場合、まず確認したいのは、見学可能な日程、申込方法、受け入れ人数、当日の注意事項です。日本相撲協会の公式部屋紹介ページには、一般向けの常設見学案内は掲載されていません。
一方、2026年10月には、後援会を通じて朝稽古見学やちゃんこ会に参加したという個人の公開記録もあります。これは特定の機会に見学が行われた事例であり、一般向けの自由見学が常時受け付けられていることを意味するものではありません。
見学を希望する人は、次の順序で確認するとスムーズです。
- 1. 公式情報を確認する:日本相撲協会の芝田山部屋紹介ページで、部屋の所在地や掲載情報を確認する。
- 2. 見学の募集状況を調べる:後援会や関係者を通じた案内、期間限定の見学会などがあるかを確認する。
- 3. 事前に許可を得る:見学可能な日時や申込条件が確認できた場合に限り、案内された手順に従う。
- 4. 現地でのマナーを守る:許可のない訪問、稽古中の撮影、力士への声掛けなどは避け、主催者の指示に従う。
相撲部屋の稽古は、力士が番付を上げるために取り組む日常の鍛錬です。見学の受け入れは稽古の予定や部屋の運営事情によって変わるため、過去に見学できたという情報だけで訪問日を決めないようにしましょう。
【大阪・名古屋・九州場所】芝田山部屋の地方場所宿舎情報
大相撲では、本場所の開催地に合わせて各部屋が宿舎を設け、力士たちは現地で稽古や生活を行います。芝田山部屋についても、大阪場所、名古屋場所、九州場所の宿舎情報が紹介されています。ただし、地方場所の宿舎は変更される場合があるため、過去の所在地を2026年の確定情報として扱わないことが大切です。
大阪場所:2026年2月に掲載された宿舎案内では、大阪府大阪市東住吉区長居公園1-1、長居公園内とされています。大阪メトロ御堂筋線の長居駅から近い場所です。これは2026年の大阪場所に関する掲載情報ですが、次回以降の宿舎まで保証するものではありません。
名古屋場所:直近の確認情報では、愛知県大府市江端町1-1の豊田自動織機大府工場内が宿舎として紹介されています。大府市の公開情報でも、2025年7月に芝田山部屋が市内に宿舎を構えていたことが確認できます。2026年の宿舎として訪問する場合は、当該年の最新案内を改めて確認してください。
九州場所:過去の宿舎情報では、福岡県春日市須玖北5-155の春日まちづくり支援センター「ぶどうの庭」が所在地として紹介されています。春日市の過去の公開記事にも、九州場所中に同施設を宿舎としていたことが記載されています。ただし、この情報は2026年の宿舎を確定するものではなく、現在の所在地については最新の案内が必要です。
宿舎の住所を調べる際は、情報が公開された年月にも注目してください。大阪場所のように当該年の案内がある場合と、過去の開催時の情報しかない場合では、確実性が異なります。宿舎の周辺で力士を見かけることを目的に訪れる場合も、稽古の見学や施設への立ち入りが認められているとは限りません。
【年寄名跡「芝田山」と二所ノ関一門】親方の名前に隠れた仕組み
「芝田山」は本名でも現役時代の四股名でもなく、日本相撲協会の年寄名跡のひとつです。大乃国が引退後に年寄となり、芝田山を襲名したことで、現在の「芝田山親方」という呼び名につながっています。
年寄名跡は、引退した力士が相撲界で指導や運営に携わる際に関係する伝統的な名称です。日本相撲協会の有識者会議資料では、その制度の起源は江戸時代の相撲興行を支えた株仲間の仕組みにさかのぼると説明されています。年寄名跡の襲名は自由に名乗りを決めるものではなく、資格審査などを経て決定されます。
つまり、「大乃国」と「芝田山」は別人を指す名前ではなく、同じ人物の現役時代と引退後を区別する呼称です。年寄名跡の名称は歴代の継承によって受け継がれてきたものであり、漢字の字面だけから本人の出身地や本名との関係を判断することはできません。
芝田山部屋は、相撲部屋の系統を示す区分では二所ノ関一門に属する部屋として紹介されています。一門は部屋を横断するつながりを持つ組織上の区分であり、各部屋の師匠や所属力士とは異なる概念です。
こうした制度を理解すると、芝田山親方の引退後の経緯も見通しやすくなります。横綱としての現役生活を終えた後、年寄名跡を襲名し、さらに自らの部屋を創設したことで、現在の師匠としての立場に至ったのです。
【芝田山親方】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:芝田山親方の本名は何ですか?
A1:本名は青木康(あおき・やすし)です。現役時代は第62代横綱・大乃国として活躍し、引退後に年寄名跡「芝田山」を襲名しました。
Q2:芝田山親方は2026年現在、何歳ですか?
A2:1962年10月9日生まれのため、2026年10月時点で64歳です。日本相撲協会の公式プロフィールでは、年寄・芝田山康、役員待遇と掲載されています。
Q3:芝田山部屋の朝稽古は一般の人でも見学できますか?
A3:一般向けの常設見学案内は、公式部屋紹介ページには掲載されていません。後援会などを通じた見学機会が設けられる場合はありますが、日程や申込条件はその都度確認が必要です。
Q4:芝田山部屋にはどのような力士が所属していますか?
A4:2026年10月時点の日本相撲協会公式部屋紹介には、錦国、浜田山、翔傑、若肥前、高麗の国が掲載されています。番付は場所ごとに変わるため、最新の順位は公式情報で確認してください。
Q5:芝田山部屋の大阪・名古屋・九州場所の宿舎はどこですか?
A5:大阪場所は2026年2月の案内で大阪市東住吉区の長居公園内、名古屋場所は2025年7月の確認情報で愛知県大府市の豊田自動織機大府工場内、九州場所は過去の情報で福岡県春日市の「ぶどうの庭」が紹介されています。特に名古屋・九州については、2026年の最新宿舎として確定した情報かどうかを確認する必要があります。
まとめ:【プロの結論】芝田山親方の現在を見誤らないための判断基準
芝田山親方は、第62代横綱・大乃国として幕内最高優勝2回を記録し、1988年九州場所で千代の富士の53連勝を止めた元力士です。1991年に現役を引退した後は年寄名跡「芝田山」を襲名し、1999年6月に芝田山部屋を創設。2026年現在も、東京都杉並区の部屋で師匠を務めています。
芝田山親方や部屋の情報を調べる際は、次の3点を判断基準にすると、古い情報や誤解を避けやすくなります。
- 人物の経歴は公式プロフィールで確認する:本名、年齢、横綱在位、通算成績などは日本相撲協会の公式記録を基準にする。
- 所属力士と番付を混同しない:所属力士の顔ぶれと番付は別の情報であり、番付は本場所ごとに更新される。
- 見学や宿舎は最新の案内を優先する:過去の見学会や宿舎の所在地は参考になるものの、現在も同じ条件で利用できるとは限らない。
現役時代の華々しい戦績だけでなく、引退後に部屋を創設し、後進を育てる立場へ移ったことも、芝田山親方を理解するうえで欠かせない要素です。昭和最後の横綱としての歴史と、2026年の相撲部屋の現状。その両方を公式情報に照らして見ることが、芝田山親方の実像をつかむ最も確かな方法です。