「入来兄弟」とは、プロ野球で活躍した入来智さん、入来祐作さん、社会人野球のTDK硬式野球部でプレーした入来博之さんの3人を指します。なかでも、兄・智さんと弟・祐作さんが1999年から2000年まで読売ジャイアンツに同時在籍したことや、2001年のオールスターゲームで実現した史上初の兄弟リレーは、プロ野球史に残るエピソードです。
一方、智さんは2023年2月10日、故郷の宮崎県都城市で交通事故に遭い、55歳で亡くなりました。弟の祐作さんは現役引退後、打撃投手や用具係などの裏方を経験し、指導者として球界に復帰。2026年現在は横浜DeNAベイスターズのコーチを務めています。3兄弟の関係、選手としての実績、兄弟リレーの真相、智さんの最期、祐作さんの現在までを時系列で整理します。
【入来兄弟とは】智・祐作・博之の3人の関係と野球一家の歩み

入来兄弟が注目される理由は、兄弟がそれぞれ野球の世界でキャリアを築いたことにあります。長兄の智さんは近鉄バファローズなどで活躍した右腕投手、弟の祐作さんは巨人でドラフト1位入団を果たした投手、博之さんは社会人野球のTDK硬式野球部でプレーした選手です。
3人の経歴を理解するうえで大切なのは、全員が同じカテゴリーでプレーしていたわけではないという点です。智さんと祐作さんは日本のプロ野球で活躍しましたが、博之さんについて広く紹介されているのは、社会人野球のTDKでプレーした経歴です。
日本野球機構(NPB)の選手記録や、各球団の公表資料、野球専門メディアのプロフィールを整理すると、3人の特徴は次のようになります。
- 入来智(いりき・さとし):1967年6月3日生まれ。近鉄、広島、巨人、ヤクルトなどでプレーした元プロ野球投手。2023年2月10日死去。
- 入来祐作(いりき・ゆうさく):1972年8月13日生まれ。PL学園高、亜細亜大学、本田技研を経て、1996年ドラフト1位で巨人に入団。引退後は指導者となった。
- 入来博之(いりき・ひろゆき):祐作さんの弟で、TDK硬式野球部に所属していた元野球選手。プロ野球で活躍した兄2人とは異なり、社会人野球で競技に携わった。
3人に共通するのは、野球が人生の大きな部分を占めてきたことです。ただし、家族としての関係と競技者としての実績は分けて考える必要があります。特に博之さんについては、兄2人ほど詳しい経歴や個人成績が広く報道されているわけではありません。
【入来智の経歴】近鉄で頭角を現し、巨人・ヤクルトでも活躍した右腕
長兄の入来智さんは、1967年6月3日に生まれ、鹿児島実業高校から社会人野球の三菱自動車水島へ進みました。1989年のドラフト会議で近鉄から6位指名を受け、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせています。
智さんは近鉄を中心に経験を積み、広島東洋カープ、再び近鉄、読売ジャイアンツ、東京ヤクルトスワローズへと所属球団を移しました。その後は韓国や台湾の球団でもプレーし、2004年に現役を引退しています。
NPBの年度別成績や日刊スポーツなどの報道によると、智さんの日本プロ野球での通算成績は214試合登板、35勝30敗2セーブ、防御率4.25。長年にわたって複数球団で登板を重ねた投手でした。
近鉄時代には1991年に4勝無敗、防御率2.44を記録。さらに2001年にはヤクルトで自己最多の10勝を挙げました。キャリアのなかで特に印象的なのは、特定の球団だけにとどまらず、移籍を経験しながらプロとしての役割を果たし続けたことです。
引退後は故郷の宮崎県都城市で暮らし、介護士として働いていたことも、2023年の訃報を伝えたテレビ朝日系の報道やスポーツ紙で紹介されました。マウンドを離れた後も、地域で生活を築いていた智さん。その人生は、現役時代の成績だけでは語り尽くせません。
【年表で比較】入来兄弟の経歴と巨人同時在籍、兄弟リレーの真相
入来兄弟を語るうえで、最もよく知られているのが、智さんと祐作さんの巨人での同時在籍です。祐作さんは1996年のドラフト1位で巨人に指名され、1997年にプロ入り。智さんも1999年から2000年まで巨人に所属していたため、2人は同じユニホームを着てプレーする機会を得ました。
一方、「兄弟リレー」という言葉には注意が必要です。歴史的な記録として知られる兄弟リレーが実現したのは、近鉄時代ではなく2001年のオールスターゲームです。当時、祐作さんは巨人、智さんはヤクルトに所属していました。兄弟が同じ球団に在籍した時期と、公式戦とは異なる舞台で兄弟リレーを実現した時期は、分けて理解する必要があります。
| 時期 | 人物・出来事 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1989年 | 入来智 | ドラフト6位で近鉄に入団。 |
| 1991年 | 入来智 | 近鉄で4勝無敗、防御率2.44を記録。 |
| 1996年 | 入来祐作 | 本田技研から巨人にドラフト1位で指名される。 |
| 1997年 | 入来祐作 | 巨人でプロ1年目を迎え、57試合に登板。 |
| 1999~2000年 | 智・祐作 | 兄弟が巨人に同時在籍。「入来兄弟」として話題になる。 |
| 2001年 | 智・祐作 | オールスターゲームで兄弟リレーを実現。智さんはヤクルトで10勝、祐作さんは巨人で13勝を挙げた。 |
| 2003~2004年 | 入来智 | 韓国、台湾でプレーした後、現役を引退。 |
| 2006~2008年 | 入来祐作 | 米国でメジャー挑戦を続けた後、横浜で現役生活を送る。 |
| 2015年以降 | 入来祐作 | ソフトバンク、オリックスなどで指導者として経験を積む。 |
| 2023年2月10日 | 入来智 | 宮崎県都城市で交通事故に遭い、55歳で死去。 |
| 2026年 | 入来祐作 | 横浜DeNAベイスターズの二軍チーフ投手戦術・育成コーチを務める。 |
2001年のオールスターゲームで実現した兄弟リレーは、日刊スポーツの通夜に関する報道でも、祐作さんが特に印象深い出来事として振り返ったエピソードです。先発した祐作さんに続いて智さんが登板し、兄弟で投手リレーをつなぎました。
つまり、入来兄弟の象徴的な出来事は2つあります。1999~2000年の巨人での同時在籍と、2001年のオールスターゲームでの兄弟リレーです。この2つを混同しないことが、入来兄弟の野球史を正確に理解するポイントです。
【2023年2月10日】入来智の死因と交通事故の経緯
入来智さんは2023年2月10日夜、宮崎県都城市内で交通事故に遭い、55歳で亡くなりました。東京ヤクルトスワローズは翌11日、球団OBである智さんの死去を発表し、死因を交通事故による重症頭部外傷と公表しました。
日刊スポーツ、スポーツニッポン、デイリースポーツなどの報道によると、事故が起きたのは同日午後9時50分ごろ。都城市野々美谷町の信号機のない交差点で、智さんが運転する軽乗用車と普通乗用車が出合い頭に衝突しました。
智さんは病院に搬送されましたが、同日午後11時45分に死亡が確認されました。事故当時の報道では、車両が畑に落ちているとの通報があり、現場の状況について警察が調べていると伝えられています。
ここで重要なのは、智さんの死因が病気ではなく、交通事故による外傷だったという点です。また、事故原因や責任については、当時の報道における警察の説明と、死因に関する球団発表を区別する必要があります。
訃報を受け、弟の祐作さんは当時、オリックス・バファローズの投手コーチとして宮崎県内で春季キャンプに参加していました。日刊スポーツは、祐作さんが知らせを受けた後、兄のもとへ向かったことを報じています。
野球界で長く活躍した兄が、故郷で突然命を落とした出来事は、多くの関係者やファンに衝撃を与えました。智さんの記憶をたどる際には、選手としての実績とともに、2023年の突然の別れも大きな節目となっています。
【入来祐作の経歴】PL学園・亜細亜大学から巨人、メジャー挑戦へ
弟の入来祐作さんは1972年8月13日、宮崎県に生まれました。PL学園高校、亜細亜大学、本田技研で野球を続け、1996年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けてプロ入りしています。社会人野球を経て即戦力として期待された右投右打の投手でした。
プロ1年目の1997年には57試合に登板。2001年には先発投手として13勝を挙げ、最高勝率のタイトルも獲得しました。巨人時代の祐作さんは、闘志を前面に出した投球スタイルで知られ、兄・智さんとは異なる形で存在感を示しました。
2003年オフに日本ハムへ移籍し、2004年と2005年は北海道日本ハムファイターズでプレー。その後、米国でのプレーを目指して渡米し、2006~2007年はマイナーリーグで挑戦を続けました。ただし、米国での挑戦と、メジャーリーグの公式戦に出場したことは別です。祐作さんはメジャー昇格を目指しましたが、MLB公式戦での登板はありませんでした。
2007年オフには横浜の入団テストを受けて合格し、2008年に横浜ベイスターズでプレーしました。しかし、公式戦での登板は限られ、このシーズンを最後に現役を引退しています。
引退後の祐作さんの経歴は、一般的な元プロ野球選手の歩みとは少し異なります。横浜では打撃投手を務めた後、用具係としてチームを支えました。現役時代の実績だけでなく、選手を支える裏方の仕事を経験したことが、その後の指導者人生につながっています。
2015年には福岡ソフトバンクホークスの三軍投手コーチに就任。その後、二軍投手コーチなどを経験し、2021年から2023年まではオリックス・バファローズで投手コーチを務めました。2024年に横浜DeNAベイスターズへ復帰し、再び投手育成の現場に立っています。
【2026年最新】入来祐作は横浜DeNAベイスターズで何をしている?
2026年現在、入来祐作さんは横浜DeNAベイスターズの二軍チーフ投手戦術・育成コーチを務めています。日本野球機構が公表する2026年度の監督・コーチ一覧にも名前が掲載されており、現在の役職を確認できます。
祐作さんの指導者としての特徴を理解するうえで見逃せないのが、現役引退後に用具係を経験したことです。選手として結果を出す立場から、練習環境を整え、選手を支える立場へと移った経験は、投手コーチとしてのキャリアを考える際にも重要な背景です。
集英社のスポーツメディア「web Sportiva」は、DeNAで投手育成に携わる祐作さんの取り組みを紹介しています。指導者としての仕事は、単に投球技術を教えるだけではありません。選手の状態を把握し、成長段階に応じた課題を設定し、一軍で力を発揮できるように支えることも含まれます。
祐作さん自身は、巨人での活躍、日本ハムへの移籍、米国での挑戦、横浜での現役引退、裏方、そしてコーチという複数の立場を経験してきました。華やかな一軍での実績だけでなく、選手生活の転機や引退後の仕事も知っていることは、若手投手に接するうえで生きる経験と考えられます。
ただし、2026年の役職名から、担当選手や具体的な指導方針、個々の選手の成績への影響までを一律に断定することはできません。現時点で確実に言えるのは、祐作さんがDeNAの二軍投手育成を担うコーチとして、現場で指導を続けているということです。
【プロの結論】入来兄弟の野球人生から見える3つのポイント
入来兄弟の歩みを整理すると、単に「3人の兄弟が野球をしていた」という説明では見えてこない、3つの特徴が浮かび上がります。
第一に、兄弟の実績はそれぞれ異なることです。智さんは複数球団で経験を積み、NPB通算35勝を記録しました。祐作さんは巨人のドラフト1位としてプロ入りし、2001年には13勝を挙げ、引退後は指導者として球界に戻っています。博之さんは社会人野球のTDKでプレーしました。3人を一括りにするのではなく、それぞれの所属先と役割を見ていくことが大切です。
第二に、兄弟リレーと巨人での同時在籍は別の出来事です。巨人での同時在籍は1999~2000年、オールスターゲームでの兄弟リレーは2001年です。「近鉄時代に兄弟リレーがあった」という理解では、実際の時系列と一致しません。年と所属球団を照らし合わせることで、記憶違いを防げます。
第三に、祐作さんの現在は、現役時代だけを見ても理解しきれません。米国での挑戦が実を結ばず横浜で現役を終えた後、打撃投手や用具係を経て指導者になった経歴は、野球界でのキャリアが選手時代だけで完結しないことを示しています。現役時代の成績に加え、引退後の仕事や現在の役職まで追うことで、祐作さんの歩みを立体的に捉えられます。
入来兄弟について情報を調べる際は、特に「誰の経歴なのか」「いつの出来事なのか」「どの球団に所属していたのか」という3点を確認すると、誤解が生じにくくなります。兄弟の名前が同じ記事に登場しても、記録や出来事の主体まで同じとは限りません。
【入来兄弟】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:入来兄弟は何人で、それぞれ誰ですか? A1:入来智さん、入来祐作さん、入来博之さんの3人です。智さんと祐作さんはプロ野球で活躍し、博之さんは社会人野球のTDK硬式野球部でプレーしました。
Q2:入来智さんと入来祐作さんは巨人で同時にプレーしていましたか? A2:はい。1999年から2000年まで、兄の智さんと弟の祐作さんは読売ジャイアンツに同時在籍していました。
Q3:入来兄弟の兄弟リレーはいつ実現しましたか? A3:2001年のオールスターゲームです。巨人の祐作さんが先発し、ヤクルトの智さんが続いて登板しました。近鉄時代の出来事ではありません。
Q4:入来智さんの死因は何ですか? A4:2023年2月10日、宮崎県都城市で交通事故に遭い、重症頭部外傷のため亡くなりました。55歳でした。東京ヤクルトスワローズが翌11日に死去を発表しています。
Q5:入来祐作さんは2026年現在、何をしていますか? A5:横浜DeNAベイスターズの二軍チーフ投手戦術・育成コーチを務めています。ソフトバンク、オリックスでのコーチ経験を経て、2024年にDeNAへ復帰しました。
Q6:入来祐作さんはメジャーリーグでプレーしましたか? A6:米国でメジャー昇格を目指して挑戦しましたが、2006~2007年の活動はマイナーリーグでのプレーが中心で、MLB公式戦での登板はありません。帰国後は横浜でプレーし、2008年に現役を引退しました。
まとめ:入来兄弟の歴史は、現役時代から現在までつながっている
入来兄弟は、長兄の智さん、弟の祐作さん、末弟の博之さんが、それぞれ野球に携わってきた3兄弟です。智さんは近鉄、広島、巨人、ヤクルトなどで活躍し、祐作さんは巨人のドラフト1位から日本ハム、米国での挑戦、横浜を経て、指導者の道へ進みました。博之さんは社会人野球のTDK硬式野球部でプレーしています。
兄弟の歴史を象徴するのは、1999~2000年の巨人での同時在籍と、2001年のオールスターゲームで実現した兄弟リレーです。そして、智さんは2023年2月10日に交通事故で亡くなりました。2026年現在、祐作さんはDeNAの二軍チーフ投手戦術・育成コーチとして活動を続けています。
入来兄弟の歩みを正しく理解するには、家族の関係だけでなく、個々の経歴、所属球団、出来事の年を照らし合わせることが欠かせない。兄弟で同じ舞台に立った記憶と、それぞれが歩んだ異なる野球人生。その両方を知ることで、「入来兄弟」という名前がプロ野球史に残した意味が、より鮮明に見えてきます。