平昌オリンピックの銅メダル、北京オリンピックの銀メダルを獲得し、日本女子カーリング界を代表する選手となった藤澤五月。北海道北見市出身の彼女は、2026年10月現在もロコ・ソラーレのスキップとして競技を続け、2030年フランスアルプス冬季オリンピックを見据えた新たな4年間に踏み出しています。
一方、ロコ・ソラーレは2025年9月のミラノ・コルティナ五輪代表決定戦で敗れ、3大会連続の五輪出場を逃しました。2026年にはチームのメンバー再編も進み、国内大会での苦戦と海外大会での好成績が入り交じっています。藤澤五月の生年月日や経歴、五輪での実績、現在のチーム事情、2030年への展望を、JOCの選手プロフィール、ロコ・ソラーレの公式発表、2026年の競技報道をもとに整理します。
【2026年最新】藤澤五月の現在とプロフィールを整理

藤澤五月は、北海道北見市出身の女子カーリング選手です。1991年5月24日生まれで、2026年10月25日時点では35歳。愛称は「さっちゃん」で、ロコ・ソラーレでは最後の一投を担うスキップを務めています。
日本オリンピック委員会(JOC)の選手プロフィールには、出生日や最終学歴、オリンピックでのメダル実績が掲載されています。所属チームの公式プロフィールでは、身長155.9cm、所属先は株式会社コンサルトジャパン、ロコ・ソラーレ加入年は2015年と紹介されています。
5歳でカーリングを始めた藤澤にとって、競技は長年にわたる生活の中心です。2026年は五輪出場を逃した後の再出発の年となり、国内の日本選手権で早期敗退を経験する一方、海外大会では準優勝も記録しました。単に「五輪に出られなかった選手」として現在を捉えるのではなく、次の五輪サイクルに向けて競技力とチームの両方を立て直している段階と見る必要があります。
また、藤澤は五輪シーズン終了後も競技活動を継続しています。2026年10月には米国のSt. Paul Cashspielで準優勝。その後、カナダで開催されたグランドスラムのCO-OP Invitationalにも出場しました。同大会では予選敗退となりましたが、海外の強豪と継続的に対戦していることが、現在の競技状況を示しています。
【経歴・年表】藤澤五月が歩んできたカーリング人生
藤澤のキャリアを理解するうえで重要なのは、ロコ・ソラーレ加入前から国内トップレベルの実績を積み重ねていたことです。中部電力時代に日本選手権で4連覇を達成し、2015年にロコ・ソラーレへ移籍。その後、世界選手権や五輪で結果を残し、日本を代表するスキップへと成長しました。
| 時期 | 主な出来事 | 実績・意味 |
|---|---|---|
| 1991年5月24日 | 北海道北見市に生まれる | 現在のカーリングキャリアの原点 |
| 5歳ごろ | カーリングを始める | 両親の影響で競技に親しむ |
| 2009~2014年 | 中部電力で活動 | 2011~2014年の日本選手権で4連覇 |
| 2015年 | ロコ・ソラーレに加入 | 世界を目指すチームで新たな挑戦を開始 |
| 2016年 | 世界女子カーリング選手権 | 日本代表として銀メダルを獲得 |
| 2018年2月 | 平昌オリンピック | 女子団体で銅メダルを獲得 |
| 2022年2月 | 北京オリンピック | 女子団体で銀メダルを獲得 |
| 2025年9月 | ミラノ・コルティナ五輪代表決定戦 | フォルティウスに敗れ、五輪出場を逃す |
| 2026年 | チーム再編と新シーズン | 松澤弥子が正式加入。2030年を見据えた体制へ |
この経歴から見えてくるのは、藤澤が五輪で突然頭角を現した選手ではないという点です。中部電力時代から国内タイトルを積み重ね、2016年の世界選手権銀メダルを経て、2018年平昌大会で五輪メダルを獲得しました。
JOCの公式プロフィールと北京五輪メダリストインタビューでも、2015年のロコ・ソラーレ加入、平昌大会の銅メダル、北京大会の銀メダルという歩みが紹介されています。長期的な競技経験に加え、チームを率いて大舞台のプレッシャーに向き合ってきたことが、藤澤の大きな強みです。
【五輪の実績】平昌の銅メダルと北京の銀メダルは何がすごい?
藤澤五月の名を全国に広めた大きな転機は、2018年平昌オリンピックでした。ロコ・ソラーレは女子団体で銅メダルを獲得。これは日本カーリング界にとって、五輪女子種目で初めてのメダルでした。
カーリングは、ストーンを狙った位置に止める投球技術だけで勝敗が決まる競技ではありません。相手のストーンを弾くか、味方のストーンを守るか、複数の投球を組み合わせて得点を狙うか。試合状況を読み、数手先を考えながら戦術を組み立てる必要があります。
スキップは、戦術の決定と重要な投球を担うポジションです。藤澤は最終投を担当し、相手の配置や氷の状態を見極めながら得点の可能性を探ります。チームメートへの指示、試合の流れを読む判断力、重要な場面でショットを成功させる技術が大切です。
2022年北京オリンピックでは、ロコ・ソラーレが銀メダルを獲得しました。平昌の銅メダルに続き、2大会連続で表彰台に立ったことは、日本女子カーリングの国際的な存在感を示す結果となりました。JOCのメダリストインタビューでは、藤澤を含む選手たちが、チーム全員でつかんだ銀メダルについて語っています。
銅メダルから銀メダルへと成績を伸ばした一方、五輪のメダル獲得を長期間にわたって再現することは簡単ではありません。対戦相手の研究が進み、若いチームが台頭するなかで、過去の成功を支えた戦術やチームワークを維持するだけでなく、状況に応じて更新していく必要があります。2026年のロコ・ソラーレが直面している課題も、まさにこの点にあります。
【なぜ出場できなかった?】ミラノ・コルティナ五輪を逃した経緯
藤澤五月とロコ・ソラーレが2026年ミラノ・コルティナ五輪に出場できなかった直接の理由は、2025年9月に行われた五輪最終予選の日本代表決定戦で、出場権獲得につながる決勝進出を逃したことです。
日本女子の代表決定戦には、ロコ・ソラーレ、フォルティウス、SC軽井沢クラブの3チームが参加しました。1次リーグで上位2チームが決勝に進み、3戦先勝方式の対戦で代表の座を争う形式でした。ロコ・ソラーレは大会初日にフォルティウスを9対7、SC軽井沢クラブを13対4で破り、好スタートを切りました。
しかし、序盤の連勝だけでは代表権を確保できませんでした。9月13日、決勝進出を懸けたタイブレークでフォルティウスと対戦し、2対7で敗戦。日刊スポーツは、この結果によってロコ・ソラーレの3大会連続となる五輪出場が消滅したと報じています。
五輪出場を逃した理由を、特定の一投や一人の責任だけに求めるのは適切ではありません。カーリングでは、投球精度、ショット選択、氷の読み、チーム全体の連携が一つのエンドの結果に影響します。短期決戦では、わずかなミスが勝敗を左右することもあります。代表決定戦で敗れたという事実は、過去のメダル実績があっても、次の大会への出場が保証されない競技の厳しさを示しています。
大会後、藤澤は今後についてチームで話し合う意向を示し、世界選手権など次の機会にも言及しました。実際、ロコ・ソラーレは2026年3月の世界女子カーリング選手権に日本代表として出場しています。五輪出場を逃したことは大きな挫折でしたが、国際舞台で競技を続ける機会まで失ったわけではありません。
【チーム再編】吉田知那美の退団と松澤弥子の加入で何が変わった?
2026年のロコ・ソラーレを語るうえで欠かせないのが、メンバーの再編です。2026年3月末には、2014年から12年間チームを支えてきた吉田知那美が退団しました。ロコ・ソラーレの公式発表では、国内タイトルや世界選手権、オリンピックでのメダル獲得に貢献した選手として、その功績に感謝が示されています。
後任となるサードのポジションには、育成チームのロコ・ステラで活動してきた松澤弥子が正式加入しました。チームは6月24日に発表し、松澤は2026-27シーズンからロコ・ソラーレの一員として活動しています。従来の主力選手を中心にしながら、新たな選手の特徴を生かすチームづくりが始まりました。
新体制は、発足直後から結果を出せたわけではありません。2026年6月の日本選手権では、ロコ・ソラーレは1勝3敗で1次リーグ敗退。日刊スポーツやデイリースポーツの報道によると、これは日本選手権への15回目の出場で初めての1次リーグ敗退でした。
さらに8月のどうぎんカーリングクラシックでは1勝3敗で予選敗退。吉田夕梨花が調整のため欠場した大会では、藤澤、鈴木夕湖、松澤の3人で試合に臨む場面もありました。メンバー構成が変わるだけでなく、選手のコンディションや出場状況に合わせた運用も必要になっています。
一方、9月の軽井沢国際カーリング2026ではプレーオフに進出し、ベスト6に入りました。10月8~11日のSt. Paul Cashspielでは準優勝を記録。続く10月13~18日のCO-OP Invitationalでは予選敗退となりましたが、海外の強豪と戦う経験を積み重ねています。
2026年10月時点の競技動向は、国内大会での苦戦と海外大会での好成績が同時に見られる状態です。新メンバーの加入だけでチームが完成するわけではなく、選手間の役割分担、戦術の共有、重要な局面でのショット精度を再構築していく過程にあります。
【2030年フランスアルプス五輪】藤澤五月の今後と競技展望
ミラノ・コルティナ五輪を逃した後、藤澤五月は2030年のフランスアルプス冬季オリンピックを見据えた新たな4年間に向けて動いています。2026年9月のスポルティーバのインタビュー記事では、藤澤がチームやコーチと今後について話し合い、「次の4年」を見据えた準備に取り組んでいることが伝えられました。
藤澤が掲げる課題の一つは、技術面だけでなくメンタル面の準備です。スポルティーバの取材では、2026年日本選手権を自信が十分でない状態で迎えてしまったことを振り返り、自分自身に自信を持って投げられるかという課題を語っています。長い競技経験があっても、重要な大会で実力を発揮するためには、氷上練習とは別に心の準備を整える時間が必要だという認識です。
2030年を目指すうえで、ロコ・ソラーレに必要なのは、過去の成功をそのまま再現することではありません。吉田知那美の退団後に松澤弥子を迎えた新体制で、選手それぞれの強みを生かした戦術を作り、試合ごとに精度を高めることが大切です。固定された役割や過去の勝ちパターンにとらわれず、新しいチームとして機能することが、次の4年間の競技力を左右します。
今後の注目点は、2027年2月に予定される日本選手権です。ロコ・ソラーレは国内王座の奪還を目標に掲げています。日本選手権での成績は、その先の国内代表争いに向けた競技力を測る重要な材料となります。また、海外大会での経験をどのように国内の試合へつなげるかもポイントです。
なお、2030年大会への出場は現時点で確定しているわけではありません。代表選考を勝ち抜く必要があり、チームの競技力、国内ライバルとの争い、藤澤自身のコンディションなど複数の要素が関わります。それでも、2026年のインタビューで次の4年間を見据える姿勢が示されたことは、競技を継続し、再び五輪を目指す方向性を考えるうえで大きな材料です。
【Instagram・家族関係】藤澤五月のプライベートで知られていること
藤澤五月のInstagramについては、「satsuki.9177」というユーザー名の公開プロフィールが確認できます。プロフィールでは、日本のカーリング選手であり、ロコ・ソラーレのスキップであることや、平昌大会の銅メダル、北京大会の銀メダルが紹介されています。フォロワー数などの表示は変動するため、数字だけで本人の活動状況を判断するのではなく、プロフィールや投稿内容を確認することが大切です。
また、ロコ・ソラーレの鈴木夕湖とは、はとこの関係にあたります。両選手の父親同士がいとこであることが知られています。長年にわたり同じチームで戦ってきた2人の関係は、競技外のつながりとしても注目されてきました。
ただし、家族や私生活に関する情報は、競技成績とは分けて考える必要があります。藤澤の選手としての評価を考える際には、本人や所属チームの公表情報、JOCのプロフィール、信頼できる報道で確認できる内容を中心に見るのが適切です。
【藤澤五月】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:藤澤五月の生年月日と現在の年齢は?
A1:1991年5月24日生まれです。2026年10月25日時点では35歳で、北海道北見市出身のカーリング選手としてロコ・ソラーレで活動しています。
Q2:藤澤五月はミラノ・コルティナ五輪に出場しましたか?
A2:出場していません。2025年9月の五輪最終予選代表決定戦で、ロコ・ソラーレが決勝進出を懸けたタイブレークでフォルティウスに2対7で敗れ、出場の可能性がなくなりました。
Q3:藤澤五月は2030年フランスアルプス五輪を目指していますか?
A3:2026年9月のスポルティーバの取材記事では、藤澤が「次の4年」を見据えた準備に取り組む姿勢を示しています。ただし、2030年大会への出場が確定したわけではなく、今後の国内代表選考を勝ち抜く必要があります。
Q4:藤澤五月と鈴木夕湖は親戚ですか?
A4:はい。2人ははとこにあたります。父親同士がいとこであることが知られており、競技だけでなく家族のつながりもある関係です。
Q5:2026年のロコ・ソラーレはどのような状況ですか?
A5:吉田知那美の退団と松澤弥子の正式加入を経て、新体制で活動しています。6月の日本選手権では1次リーグ敗退となりましたが、9月の軽井沢国際ではプレーオフに進出し、10月のSt. Paul Cashspielでは準優勝を記録しました。国内王座の奪還と、2030年を見据えたチームづくりが課題です。
まとめ:藤澤五月の現在を知る鍵は「再出発」と2030年への挑戦
藤澤五月は、平昌オリンピックの銅メダル、北京オリンピックの銀メダルという輝かしい実績を持つ一方、2026年はミラノ・コルティナ五輪出場を逃した後の再出発に取り組んでいます。35歳となった現在も競技を続け、ロコ・ソラーレのスキップとして新たなチームづくりを進めています。
2026年のロコ・ソラーレは、吉田知那美の退団と松澤弥子の加入によって大きな転換期を迎えました。国内大会での苦戦だけを見るのではなく、海外大会での準優勝やプレーオフ進出なども含めて、競技力の変化を追う必要があります。
2030年フランスアルプス五輪への挑戦は、過去のメダル実績だけで実現するものではありません。国内選考での勝利、新体制の連携、ショット精度の向上、そして大舞台で自分の力を発揮するためのメンタル面の準備が大切です。藤澤五月の次の4年間は、経験豊富なスキップが新しいチームとともに、もう一度世界の頂点を目指す過程として注目されます。